メイン | 2007年03月 »

2007年02月 アーカイブ

2007年02月13日

薬売りブログをはじめました


越中富山といえば薬売りという言葉が返ってくるほど、富山の薬売りの姿は全国各地の人びとの心に深く根を下ろし、親しまれています。
江戸中期、富山藩からおこった個性的な地域産業が、薬という単一商品をもって全国マーケットに手をひろげ、周辺の加賀藩領越中商人を巻き込みながら、全国を風靡するほどに発展しました。そして医薬品の溢れる今日まで300年、営々として命脈を保っています。
それは商業倫理にもとづく、人と人との結び合い、助け合いから生まれる信用、信頼の商いだからです。
マーケティングの極意とは、単に打算、計算、実利を頭に置くお金が最大という思想でなく、それを超えたところに儲けがあり、事業を永続させることができます。
富山の薬売りには、先用後利、懸場帳、などの商業精神をしみじみと知らされる言葉があり、先人の仕事に学ぶページを運営します。
顧客名簿は、「懸場帳」という。また集金高は「懸高」、顧客は「懸方」という。「懸」は配置を意味します。そして懸場帳の所有者は「帳主」と呼ばれています。懸場帳は我々の業界では経営の継続をあらわし、「暖簾価値を持つもの」として、不動産同様に扱われています。

2007年02月18日

反魂丹


江戸時代の反魂丹は現在売られている反魂丹とはまったく違う薬でした。江戸時代の「反魂丹」には世界中から集められた23種類の生薬が使われていますが、現在のドラックストアで売られている「反魂丹」は4種類の生薬と1種類の化学成分でできています。名前は同じでも内容はまったく違う薬です。現在の「反魂丹」は胃腸薬ですが、江戸時代の反魂丹の効き目は、すばらしいものだと伝えられています。当時、「反魂丹」はとりわけ有名な薬で、天保年間、大阪で作られた全国の代表的な有名な薬を46集めて比べた資料によると、江戸時代全国有名薬第一位は「越中反魂丹」でした。富山藩(とやまはん)2代前田正甫も、自ら「反魂丹」を常備し愛用しており、江戸城において、三春藩主の腹痛を「反魂丹」で治した話は有名です。
現在の「反魂丹」と江戸時代の「反魂丹」がまったく違う薬になってしまったのには理由があります。明治時代に製薬に対する許可制度が変わったからです。江戸時代は「御免」といって、藩から薬の製造免許が与えられていましたが、明治時代は、「官許」といって、明治政府から薬の製造許可が与えられるようになりました。明治時代は、薬は化学成分と効能効果が説明できる西洋のものでないと薬ではない。草根木皮で作った薬は効かない。と考えられて漢方薬はどんどん規制されてしまいました。江戸時代には全国一位の「反魂丹」もなぜ効くのか解らずに、製造されなくなってしまいました。そして、はら薬「反魂丹」が作られ名前だけが残りました。
江戸時代の「反魂丹」をのんでみたい・・・

2007年02月25日

江戸時代の薬の色は赤色


江戸時代、赤色は人を元気にする色だと考えられていました。たくさんの薬が赤い玉でした。今一度「反魂丹」の「丹」の漢字に注目して下さい。「丹」の字には、赤くて丸いものという意味があります。「たんちょうづる」は「丹頂鶴」と書きます。頭のてっぺんが赤いという意味です。当時「丹」の字が使われている薬に、「反魂丹」、「万金丹」、「豊心丹」などがあり、「仁丹」も今は銀色ですが赤かったと思われます。
赤い薬は丸剤に朱を振り、黒い薬は丸剤に炭を振って作ります。

About 2007年02月

2007年02月にブログ「薬売りブログ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

次のアーカイブは2007年03月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

ホストページ
www.haichi-net.co.jp
Powered by
Movable Type 3.34